指導ができなくなった上司たち
パワハラ・セクハラ・モラハラ・ハラハラ・・・大変に多くのハラスメントが会社の経営陣を戦々恐々とさせている。とよく聞くが、実際、戦々恐々としているのは、目の前に訴訟を抱えていたり現場で揉めている場合だ。頭を抱えすぎてそのまま前を向かないのではないかと心配になるほど落ち込む経営者の話を聞き、どこから何を解決できるかの緒を探り、調査を実施するのが調査会社の役目でもある。ただ、揉め事が自分に降り掛かっていない場合、「やりづらい世の中になりましたなあ」と言って、そもそも「指導をしない」という方向へ舵を切っている人も多いことと思う。
内田樹氏著作「反知性主義」(晶文社「反知性主義」https://www.shobunsha.co.jp/?p=3509)には、会社員がお客様からもらう御礼の品を自分への評価だと思う人がいるが、それは大いなる勘違いだよ、ということが書かれていた。これから社会人になる若者へ向けた言葉であった気がする。特にお客様と接する機会の多い営業であれば、その会社のノベルティやお菓子などを頂く場合も多いのではないだろうか。これをそのままポケットに入れる人というのはやはりいる。自分への個人的な御礼だと思っているのだ。
さて、ここで一度タイムスリップして子供の頃のことを思い出してみてほしい。ご近所さんからお菓子を頂いたら、これもらった!と親に言いに駆け戻ったことはなかったか。テストでいい点をとる、部活で入賞する、そんなとき(ときには黙って)リビングに答案用紙、賞状、を置いたことはなかったか。今年、東北勢初の夏の甲子園を制覇した仙台育英高校の主将はインタビューで、ここまで共にやってきた仲間に感謝したいと言った。
さてさて、再度時間を進めて、会社というチームに所属した途端、一体いつからその営業マンは名前だけ登録した業務提携者になったのか。お客様に売るものもサービス形態もその説明書やノウハウも、入ったときには既にあったものを扱っていながら、その商売に対しての感謝は全て自分だけのものか。いや、会社に属していても新たに商品を考えて売ったのは自分だ!という場合は、そのときの出した名刺はどこのものだったか。事務所も実績も信用もない、たったひとりの「個人」相手に、そう簡単に人は財布の紐を解きはしない。
今どきのもんにはそこまで言わんといけないのか・・・とため息まじり、驚きまじりでのつぶやきが聞こえてきそうだが、それをいつの頃からか言わなくなった結果が今眼の前に出ているだけのことかもしれない。
時代は変わっていくものであるし、価値観も変わっていく。ただそれはイコールこれまでのものを知らなくていいということではない。聞く側の態度がなっていないこともあろうし、意見が違うこともあろうが、そうであったとしても教えて頂きたいことは今も多くある。闘わなければならないことも。
まもなく大量退職時代に入る。入れ替わるべきもの、残されるもの、去るべきもの。それぞれ沈黙のまま時だけが流れることのないようにしていきたい。
創業者の初盆を終えて_2022年8月
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