Twitter社逆転敗訴の訴訟から考える調査業界の存在意義
過去の逮捕歴投稿、削除命令 ツイッター社逆転敗訴―
※時事ドットコムニュース
https://www.jiji.com/jc/article?k=2022062400801&g=soc
今年、6月24日の報道である。ツイッター上に残された逮捕歴に関する投稿の削除を求める裁判で1審が原告側勝訴、2審が逆転のTwitter側の勝訴、最高裁でサイド逆転の原告側勝訴となった。ここで争われたことを簡単にまとめると以下のような対立となる。
<概要>建造物侵入容疑で2012年に逮捕された男性が、ツイッター上に残る逮捕記事の投稿を削除するよう米ツイッター社に求めた訴訟
■原告側
実名入りの逮捕記事の投稿がツイッター上に残ることは、更生を妨げられない利益やプライバシー権の侵害に当たる
■Twitter社
投稿は独自の表現行為で、これを削除することは表現の自由や知る権利に関わる。削除されるべきではない
※毎日新聞
https://news.yahoo.co.jp/articles/09d4978be4489b64396a291f31e97ba81e857298
更に簡潔にすると
「更生を妨げられない利益・プライバシー権」VS「表現の自由・知る権利」
である。
結果今回は最高裁にて原告側の勝訴となったということは、「表現の自由・知る権利」よりも「更生を妨げられない利益・プライバシー権」が優先されたということになる。勿論、全ての事象に当てはまるわけではない。2017年にグーグルなどの検索サイトに対する検索結果の削除請求について「公表されない利益が、公表される利益に明らかに優越する場合には削除が認められる」との判断基準を示している。これらの報道を見ていて、調査業界でも同じようなことではないかと感じたことがある。
調査業界が最もその存在意義を問われた1990年代、大阪府調査業協会の当時会長であった有本憲二氏が中心となってまとめた「答申」に以下のようなことが記載されてある。
調査の依頼を受け調査を行うに当たっては、調査を依頼する者のもつ利益と、調査される者のもつ利益を適切に比較考量することが必要である。 ~中略~ 調査依頼者と被調査者の両者の権利利益を比較考量した場合に、調査依頼者の権利利益の保護に、より社会的な妥当性が認められる場合がある。 ~中略~ 結婚調査と採用調査についても、これらは一切すべきではないとの考え方もあるが、すべて許されないと考えるべきではない。
調査業界は人権、プライバシー権、個人情報保護などの変遷の激しかった近代の概念と結びつき、常にその存在意義を問われてきた。時々ニュースとなる今回のようなマスコミや記者が裁判となった際に主張する「表現の自由」「知る権利」などが、調査業に置き換えてみるとは何になるのか、明確に答えられる人は少ないのではないかと思う。それがこの業界がときにグレーであると言われる所以ではないだろうか。ときにそれは「営業権」であり「知る権利」であるが、あくまでそれは調査の依頼者側の主張であることも多い。依頼者側が主体であり、その目的達成のために動くのが調査会社である。
困っている人がいる。それを助けたい。助けられる仕事が調査業なのであれば、社会に必要とされる大事な職業である。胸を張れ。と言いたいところだが、それをどんな場合でもストレートに主張できるわけではないありとあらゆる状況が複雑に絡み合う仕事なのである。それゆえ、業界自体の自主規制が必要であり、その仕事を担う一人ひとりの自覚と倫理観が他の業種にはなく格段に強く求められるものであると思う。
先出の答申では、業界内での自主規制が説かれている。自分たちで倫理観を持ち、依頼されたことを何でも受けるのではなく洞察力を磨いていくことで、業界全体の地位もあがり世間的な認識も改善に向かう。それをあらゆる角度から真摯に向き合い、目先の利害に翻弄されるなと、我々に強く訴える。
今回のTwitter訴訟の内容に当てはめるなら以下となる。
調査する利益が調査しない利益に明らかに優越する場合、調査は認められる――
果たして、どうか。
株式会社企業サービスー昭和54年創業の調査会社