調査する側、される側
バックグラウンドチェックという仕事は、企業から依頼を受けた候補者の提出された、履歴書・職務経歴書が申告どおりであるか否かの確認である。詳しく書き出すときりがないので、非常に大雑把だが要はそういうことである。そのためバックグラウンドチェックを「調査」というと仰々しすぎるかもしれない。ましてや「審査する」ということはではないと思っている。採用可否は企業側が決めることであるし、誰かを見抜く、判断するほど特殊技能を持ち合わせているわけでもない。それを最近勘違いする業者や担当者に出くわすことが多い。
日本の採用過程において、大半の企業は候補者自身のアピールと、面接官という一対一で物事が進む。そのお互い向き合った状態からいかにして本音を引き出すかとか、企業の実態を感じるかという駆け引きを行っている。とある情報番組でバックグラウンドチェックが取り上げられた時、経歴を詐称した経験を持つ候補者がインタビューでこんなことを言っていた。
「企業だって毎年賞与出すと言いながら出なかったりするわけじゃないですか。お互い様ですよ。」
それを言い始めると面接も狐と狸の化かし合いのようだと思いながら、嘘を付く人たちはそういう感覚で正当化しているのか、と感じた。とあるリファレンスチェックの会社は、質問事項やアンケート項目を犯人の説得や自白を専門とする取調官の監修を受けて作っているということをアピールしていたりする。リファレンスチェック業者は「真実を暴く正義の味方」を目指しているだろうか・・・?どれもこれも結局は候補者対面接官の双方向の話でしかない。
バックグラウンドチェックは「調査」というと大げさで、「審査する」わけでもないと書いた。
では何なのか?
「第三者意見の提供」である。(もちろん他にも色々あるが、一旦大きなポイントとして記載する。)
候補者対面接官。この構図しかなかったところに「第三者」の意見を放り込む。そうすると「言ってるとおりですね」となることもあれば、「全然話が違うじゃないか。」となる場合もある。リファレンスチェックは、候補者側につく応援演説の側面が強く(候補者がこの人からなら話を聞いていいですよと指定する人なので)、「第三者」とはなりづらい。リファレンスチェックで返答する人が昔のような身元保証人であれば話は別だが、今はむしろリファレンスチェック協力者にそのような責任は一切ないから答えてくれ、と様々気を使ってお願いする状況である。
常に一方向からしか見てはならん!と言われ、ちょっと横顔拝見してもいいですか?とかそれはちょっと・・・と拒否される。それで相手を本当に見極めろという方が無茶である。
よく恋愛相談で、彼(彼女)の普段の顔を知るのには、その友人に会うのが良いと言う。友人関係を見ると、なんとなくその人の人柄も知れたりするからだ。お互いのことでしょ?友人なんて関係ないじゃん!と言って、一切友達を紹介されないとなると、自分は遊ばれているのか、実は妻子(夫子)がいるのでは?と疑う事例は枚挙にいとまがない。
いやいや、それはプライベートの話であって、仕事はそこまで深い付き合いにはならないから・・・というのであれば、企業に「雇用者責任」だの「使用者責任」だとの従業員の人格・人生背負いこませるのは過酷なのではなかろうか。
権利主張は激しく、義務は空気ほども軽い。
それではどうやったってお互いにいい関係が築いていくことは困難であろう。