自分の感受性くらい
「早く結婚しなさいよ~」
夢の中の出来事でも、古いドラマの再放送でもない。耳を疑うような時代錯誤の挨拶。
先週末の自治会の会議に出た帰りがけの出来事である。驚きすぎて一瞬その場で固まってしまった。
誰が言ったかはわかっている。いつも娘や孫の自慢話を延々として憚らない七十を超えたおばあさん(今や七十はまだ若い人も多いが敢えていう)だ。にしてもこの声掛け――。急速に沸騰しそうになる感情を抑えて「しませんよ~。」と同じトーンで返すのが精一杯だった。
「コラ!」っと、冗談のやりとりのつもりなのだろう、面白そうなお婆さんの声が追いかけてきたが、最早振り向くつもりは毛頭ない。
齢四十にして独身。今や珍しくもない話だが、私自身が幼い頃はまだ専業主婦が大半を占めるイメージで「女のくせに」という言葉が男性生徒の口から学校生活ではしょっちゅう出る、そんな時代。だから自分が独身であることが胸を張って褒められる話ではない自覚はあったし、ある程度何かを云われるであろうことは覚悟の上での独身であった。
しかし今や世の中がハラスメントに敏感になり、法律や条例で定めが出来、むしろ気を使われる側になった現代において、うっかりその「覚悟」を忘れてきてしまっていたことに気づいた。
まだ「結婚しなさい」が当たり前だった頃、自分がアウトローである自覚があった頃、こんなに胸がざわついたり怒りの感情が首をもたげることもなかった。
論破もせず「全然モテなくて~」と笑って返す術を比較的軽やかに身につけていたのに。
環境が自分を許容するようになり、むしろそれを認めなければならないと気を使われる存在になり、いつの間にか私はその居心地の良さに、色々な鎧や構えを忘れてしまっていたらしい。
そう考えると今の若者は生きづらかろう。
戦うすべを知らず、構えを教えられないまま、ありのままを受け入れてもらうのが社会の正しい在り方であるという理論が表面上は大手を振って歩く現在、何かあればなにくそと反骨精神で頑張るという選択肢より前に、相手が罰せられ、石の上にも三年頑張れと言ってくる周囲の環境もなく、早くそんなところは辞めてしまいなさなさいと言われる。
成長へと舵を切る意志を持つことは昔より難しかろう。
今朝の会社の朝礼で、「成長する人の三原則」という動画が流れていた。
素直であること
理解度を上げること
人のせいにしないこと
人のせいにしないこと。茨木のり子の詩でもあったな。
ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて
自分の感受性くらい、自分で守れ、馬鹿者よ――中学生の頃に衝撃だった詩が、今再び去来する